CONCEPT

千載の要

『聚楽第図屏風』/桃山時代・16世紀(三井記念美術館)
『聚楽第図屏風』/桃山時代・16世紀(三井記念美術館)

平安京の中心「大内裏」の内側、
政務の中枢である「中務省」が置かれていた
上京区中務町。

794年、桓武天皇によって拓かれた平安京は、
その中枢である大内裏(御所)が、現在の京都御苑よりもおよそ2km西にありました。
現地は、その平安京の大内裏の中心近く、天皇が起居し、儀式や執務などを行った内裏のすぐ南、朝堂院の東に位置。
地名の「中務町」は、平安京の重要官庁である中務省(なかつかさしょう)がこの地にあったことに由来します。
中務省は、平安宮の二官八省のうち最大の規模で天皇の秘書官として詔書や勅旨の作成に関わりました。

二条城の空撮風景

「長生不老の楽しみを
聚(あつ)める」
豊臣秀吉の「聚楽第」跡に
寄り添う地。

時は下り、安土桃山時代、関白に任ぜられた豊臣秀吉は、かつての平安京の大内裏跡に「聚楽第」を造営。
聚楽とは「長生不老の楽しみを聚(あつ)める」という意味を持ちます。
その規模は本丸を中心に、西の丸・南二の丸及び北の丸(豊臣秀次増築)の三つの曲輪と堀を巡らせた城郭であり、
随所に金箔瓦を用いた豪勢な佇まいは、政庁兼邸宅として権力の威勢を誇示していました。

この地の歴史的背景を辿ると、政を司る要人たちが集まり、
暮らした京の中心にこだわり抜かれた新たなレジデンスが誕生する。

  • 掲載の航空写真は、2023年10月に撮影したものにCG加工を施したものであり、実際とは異なります。あらかじめご了承ください。
  • 掲載の周辺写真は2023年11月に撮影したものです。