二条城の傍ら、都心に寄り添う。

古都中枢の本流を継ぐ地に 古都中枢の本流を継ぐ地に

『花洛往古図』(国際日本文化研究センター貯蔵)
古から京の要衝として栄えてきた地に、
現代の都市生活の利便さと快適さを融合。
千二百年余りの歴史を重ねる京の中心・平安京。ここは、その平安京の要である大内裏が置かれた場所であり、さらには、天下人豊臣秀吉が築いた緊楽第を間近にするエリア。そんな歴史の記憶を紡ぐ揺るぎない価値を持つこの場所と、現代の都市生活の利便性が調和する良質な住環境を舞台に、千載一遇の要とも呼びたい全26邸のプライベートレジデンス、「ヴェリテ元離宮二条城」誕生。

平安京の中心「大内裏」の内側、政務の中枢「中務省」が置かれていた上京区中務町。

七九四年、桓武天皇によって拓かれた平安京は、その中枢である大内裏(御所)が、現在の京都御苑よりもおよそ2キロ西にありました。現地は、その平安京の大内裏の中心近く、天皇が起居し、儀式や執務などを行った内裏のすぐ南、朝堂院の東に位置。地名の「中務町」は、平安京の重要官庁である中務省(なかつかさしょう)がこの地にあったことに由来します。中務省は、平安宮の二官八省のうち最大の規模で天皇の秘書官として詔書や勅旨の作成に関わりました。

中務省東面築地跡

「長生不老の楽しみを聚(あつ)める」
豊臣秀吉の「聚楽第」跡に寄り添う地

時は下り安土桃山時代、関白に任ぜられた豊臣秀吉は、かつての平安京の大内裏跡に「聚楽第」を造営。聚楽とは「長生不老の楽しみを聚(あつ)める」という意味を持ちます。その規模は本丸を中心に、西の丸・南二の丸及び北の丸(豊臣秀次増築)の三つの曲輪と堀を巡らせた城郭であり、随所に金箔瓦を用いた豪勢な佇まいは、政庁兼邸宅として権力の威勢を誇示していました。

聚楽第南外濠跡

遥かなる歴史大河の流れを
いまに受け継ぐ地に暮らす。

かつて、平安京の中央を南北に貫いていた朱雀大路は現在の千本通りで、丸太町通りとの交差点北西に「大極殿趾」の石碑が静かに佇んでいます。

平安京大極殿跡
大極殿遺址碑
歴史と季節と光のロマンが多彩な感動を呼ぶ
国宝・世界遺産「元離宮二条城」。
「ヴェリテ元離宮二条城」は、京都の中心部に寄り添う地でありながら、静謐な街並みと永い歴史に育まれたゆとりが漂います。周辺には、歴史的価値の高い見所も豊富で、そのひとつが、江戸幕府を開いた徳川家康が築き、第十五代将軍徳川慶喜が幕府の終焉を告げた「大政奉還」の舞台となった国宝・世界遺産「元離宮二条城」です。東大手門(重要文化財)、唐門(重要文化財)、二の丸庭園(特別名勝)、本丸御殿(重要文化財)をはじめ、数々の歴史的建築物が訪れる人を魅了します。また、桜や紅葉、ライトアップをはじめ、唐門や内堀での壮大なプロジェクションマッピングなど、歴史のロマンと共に季節の彩りや斬新な光のページェントなど多彩な感動を身近に楽しむことができます。
  • 東南隅櫓
  • 東大手門
  • 唐門
大文字や左大文字をはじめ、
4つの送り火を望めるロケーション。
毎年8月16日の夜、京の夜空を美しく彩る伝統行事「五山送り火」。現地の上層階からは、このうち午後8時に点火される東山・如意ヶ嶽の「大文字」を皮切りに、松ケ崎・西山の「妙」、西賀茂・船山の「船形万灯籠」、大北山・大文字山の「左大文字」まで、次々に灯されていく4つの送り火を眺めることができます。

二条の利便性を
享受。

暮らし心地の良い
「二条」駅界隈が生活圏。
由緒あるエリアでありながら、
利便性を兼ね備えたロケーション。

  • BiVi二条/徒歩14分(約1,110m)
  • デイリーカナートイズミヤ 堀川丸太町店/徒歩8分(約640m)
  • コープ二条駅/徒歩12分(約960m)
  • ライフ 二条駅前店/徒歩10分(約800m)
  • 掲載の航空写真は、2023年10月に撮影したものにCG加工を施したものであり、実際とは異なります。また、現地の光柱は物件の位置を示すもので建物の規模、高さ等を表したものではありません。あらかじめご了承ください。
  • 掲載の周辺写真は、2023年11月に撮影したものです。
  • 掲載の上京区中務町周辺写真は、2024年1月・4月に撮影したものです。